アローンな日記

孤独を極めし20代男が、コミュニケーションを克服せんともがく姿を記すブログです。

孤独だった半生と、これからの生き方について。

こんにちは、カイトです。

 

僕は20年余りの人生のうち、多くの時間を孤独と共に生きてきた。

その半生をいかに書き記していこうと思う。

 

小学校時代には、学校に友達と呼べる人はほとんどいなかったように記憶している。

低学年時代はそうでもなかったかもしれないが、3年生、4年生あたりから、何がきっかけか心を閉ざすことが増えた。

 

幸いにも学校の外にコミュニティーがあり、そちらではなんやかんやで上手くやれていたと思う。とはいえ、主に付き合っていたのは兄の友達で、相手からすれば、あくまで僕は「〇〇(兄)の弟」という関係性だったかもしれない。

 

つまり小学校時代の僕には、対等に付き合える友人が一人もいなかったということだ。

 

そしてこれは、中学生になってもあまり変わらない。

 

中学校には囲碁棋士修行のためにほとんど通わず、院生という組織に所属して、日々囲碁の勉強をしていた。

ここでもコミュニケーションの下手さは変わらずで、同年代の院生はたくさんいたのに、ついに友達と呼べる存在は作れずじまいに終わった。

 

さらにトラウマ級の理不尽な折檻を食らったりと、これまで以上に他者とのコミュニケーションへの苦手意識を持つようになった。

 

そして高校時代、ようやく友達と呼べる存在ができたが、相手からすれば数多くいる友達のうちの一人に過ぎないような存在。

それなりに楽しい学校生活ではあったが、自分からクラスの人に話しかけることもせず、どこまでも受け身なコミュニケーションに終始したのが高校時代だった。

 

とまあそんな感じで、コミュ障な性格を真剣に直すきっかけも無いまま生きてきたツケが一気に回ってきたのが、悪夢の大学時代だった。

 

この大学時代、人と会話した記憶が本当に少ない。本当に、マジで、徹底的に、人とまったく喋らない4年間だった。

たしか明石家さんまさんは1日に10万文字以上喋るらしいが、大学にいた4年間を全て合わせても、僕が大学内で発した言葉がそれを上回るとは思えない。

 

つまりは典型的な「ぼっち大学生」であったわけだ。

 

友達は一人もおらず、サークルはもちろん無所属。

時間割から取得科目まで、先輩のアドバイスも一切聞かずに自分で組み立てていた。

 

そして、完全なるぼっち攻略で学業を上手くやれるほど優秀な学生だったかというと、まるで真逆。

もともとの学力より高めな大学だったこともあり、成績はずっと底辺をうろついていた。

 

ぼっちな上に成績も底辺な学生がどうなるかというと、それはもう「病む」しかない。

2年生くらいまでは本当に無気力な日々で、希死念慮さえ抱く日々が続いた。

 

「人生いつ終わってもいいや」なんて、ナチュラルに思っていた。

 

いま振り返ると明らかに異常事態なのだが、当時の自分はそんなメンタルの狂いに気づくことさえできなかった。また、それを教えてくれる人もいなかった。

 

2年生半ばの頃に他大学のサークルへ参加する機会があって、ややメンタルは改善した。しかし自分の大学での調子は変わらず、ついに中退という選択をとることになった。

 

それから数年がたったいまは、何やかんやで東京で一人暮らしている。

 

今の僕が切に思うこと。それは、「もっと人とコミュニケーションしたい!」という思いだ。願望と、必要性が混じった思いだ。

 

端折って書いたが、僕は生活の全てにおいて孤独だったわけではない。

上京するまではだいたい家族と暮らしていた。両親とはそれほど会話する関係ではないが、兄弟仲は良い方だ。趣味を通した繋がりも、薄くだがある。

 

人生において完全な孤独を感じ、切実な痛みを感じたのは、通っていた大学構内においてのみだ。

 

しかし、20年余り抱えていた孤独な気質で、多くの時間を無駄にしてきたという後悔はある。正直、語りつくせないほどだ。

 

人間は関係性の生き物であり、どんな楽しみも根本には他者とのコミュニケーションがある。それを無視しては生きられない。

 

僕はこれからの人生で、出来るだけ好きな人たちと関わって、楽しい時間を共有していきたい。人生の幸福とは、つまるところそこで決まると思うからだ。

 

そのために、長らく付き合ってきたコミュニケーション下手を克服していこうと考えている。内向的な性格は変わらないと思うが、少なくともコミュニケーションに対する苦手意識は減らし、できれば無くしたいのだ。

 

このブログは、孤独を抱えて生きてきた僕が、コミュ障を克服するまでのプロセスの記録にする。