アローンな日記

孤独を極めし20代男が、コミュニケーションを克服せんともがく姿を記すブログです。

全ての楽しさの源泉はコミュニケーションだと思う。 〜院生をやめた頃の話

こんにちは、カイトです。

 

ぼくはそれなりに多趣味で、人生の時間足りないなと思ってしまうタイプの人間です。

 

囲碁や音楽、アニメ、最近だと筋トレやボルダリングなど、割と見境なく手を出して生きてきました。

 

さて、最近ふと「趣味の原動力は他者とのコミュニケーションなんじゃね?」と考えたのでメモしておきます。

 

きっかけは、僕がこれまでの人生で最も長く、深くハマった趣味である囲碁棋士修業時代のある経験を思い出したことです。

 

僕は小学生の半ばごろから囲碁にハマり、卒業するころにプロを目指して上京しました。一日中飽きもせず碁盤の前に座って、ひたすら練習、練習の日々。

サボって遊んじゃったこともたくさんありますが、今振り返っても、よくあれだけ一つのことを続けられたものだと思います。

 

しかし、ある時期にふと、一気にモチベーションが冷めてしまったのです。

 

それは、院生を辞めるちょうど1年前くらいのこと。

モチベーションがなくなってからの1年は実質的に惰性の日々なのですが、当時のぼくは気づいてなかったんですよね。

 

碁盤の前に座っても、やる気が湧いてこない。集中力が続かない。

囲碁の勉強は、一定レベルを超えてくると量より質が大事になります。こんな状態では勉強が身につくこともなく、院生対局の成績も一向に伸びず。

 

そんなうだつの上がらない状態になり、現状脱出の術を見つけることもできないまま、ズルズルと日々を過ごしてしまっていました。

 

さて、当時のぼくはなぜ唐突にモチベーションを失ってしまったのか?

囲碁を楽しみ、情熱を持って取り組めていた時期と、何が変わったのか?

 

現時点での結論をいうと、それは「囲碁を通じた"他者コミュニケーション"を失ってしまったから」です。

 

囲碁に限らず、趣味の楽しさというのは2種類あるもの。

 

1. 趣味そのものの楽しさ

2.    趣味を通じた人とのコミュニケーションの楽しさ。

 

思えばぼくが囲碁と出会い、楽しく続けてこられたのは、囲碁を通した面白い友人との出会いがあったからなんですよね。

小学校時代に通っていた囲碁教室には、囲碁を打つためというより、友達と遊びに行くような感覚の方が強かったような気さえします。

 

やや極端かもしれませんが、ぼくが囲碁に感じた楽しさというのは、実は後者の割合の方がずっと大きかったのです。

 

棋士を目指すほどにのめり込んでいましたが、囲碁というゲームそのものへの才能(情熱)は、それほどなかったのかもしれません。

 

モチベーションを失った当時のぼくを振り返ると、相当に精神をおかしくしており、誰ともろくに口をきいていませんでした。

友達もおらず、ひとり黙々と勉強し、対局する毎日。

 

「修行とは孤独なもの」などと、漫画の主人公のような気取った考えもあったかもしれません。(現実の強者はだいたいコミュ充というのに‥‥‥中二病‥‥‥。)

 

そんな孤独な日々の中で、モチベーションというエンジンが徐々に減っていき、ついにはガス欠を起こしてしまいました。

 

当たり前ですね。仲間とのコミュニケーションがあってこそ楽しかったのに、それを自らバッサリ切り捨てていたのですから。

 

 

 

 

孤独だった半生と、これからの生き方について。

こんにちは、カイトです。

 

僕は20年余りの人生のうち、多くの時間を孤独と共に生きてきた。

その半生をいかに書き記していこうと思う。

 

小学校時代には、学校に友達と呼べる人はほとんどいなかったように記憶している。

低学年時代はそうでもなかったかもしれないが、3年生、4年生あたりから、何がきっかけか心を閉ざすことが増えた。

 

幸いにも学校の外にコミュニティーがあり、そちらではなんやかんやで上手くやれていたと思う。とはいえ、主に付き合っていたのは兄の友達で、相手からすれば、あくまで僕は「〇〇(兄)の弟」という関係性だったかもしれない。

 

つまり小学校時代の僕には、対等に付き合える友人が一人もいなかったということだ。

 

そしてこれは、中学生になってもあまり変わらない。

 

中学校には囲碁棋士修行のためにほとんど通わず、院生という組織に所属して、日々囲碁の勉強をしていた。

ここでもコミュニケーションの下手さは変わらずで、同年代の院生はたくさんいたのに、ついに友達と呼べる存在は作れずじまいに終わった。

 

さらにトラウマ級の理不尽な折檻を食らったりと、これまで以上に他者とのコミュニケーションへの苦手意識を持つようになった。

 

そして高校時代、ようやく友達と呼べる存在ができたが、相手からすれば数多くいる友達のうちの一人に過ぎないような存在。

それなりに楽しい学校生活ではあったが、自分からクラスの人に話しかけることもせず、どこまでも受け身なコミュニケーションに終始したのが高校時代だった。

 

とまあそんな感じで、コミュ障な性格を真剣に直すきっかけも無いまま生きてきたツケが一気に回ってきたのが、悪夢の大学時代だった。

 

この大学時代、人と会話した記憶が本当に少ない。本当に、マジで、徹底的に、人とまったく喋らない4年間だった。

たしか明石家さんまさんは1日に10万文字以上喋るらしいが、大学にいた4年間を全て合わせても、僕が大学内で発した言葉がそれを上回るとは思えない。

 

つまりは典型的な「ぼっち大学生」であったわけだ。

 

友達は一人もおらず、サークルはもちろん無所属。

時間割から取得科目まで、先輩のアドバイスも一切聞かずに自分で組み立てていた。

 

そして、完全なるぼっち攻略で学業を上手くやれるほど優秀な学生だったかというと、まるで真逆。

もともとの学力より高めな大学だったこともあり、成績はずっと底辺をうろついていた。

 

ぼっちな上に成績も底辺な学生がどうなるかというと、それはもう「病む」しかない。

2年生くらいまでは本当に無気力な日々で、希死念慮さえ抱く日々が続いた。

 

「人生いつ終わってもいいや」なんて、ナチュラルに思っていた。

 

いま振り返ると明らかに異常事態なのだが、当時の自分はそんなメンタルの狂いに気づくことさえできなかった。また、それを教えてくれる人もいなかった。

 

2年生半ばの頃に他大学のサークルへ参加する機会があって、ややメンタルは改善した。しかし自分の大学での調子は変わらず、ついに中退という選択をとることになった。

 

それから数年がたったいまは、何やかんやで東京で一人暮らしている。

 

今の僕が切に思うこと。それは、「もっと人とコミュニケーションしたい!」という思いだ。願望と、必要性が混じった思いだ。

 

端折って書いたが、僕は生活の全てにおいて孤独だったわけではない。

上京するまではだいたい家族と暮らしていた。両親とはそれほど会話する関係ではないが、兄弟仲は良い方だ。趣味を通した繋がりも、薄くだがある。

 

人生において完全な孤独を感じ、切実な痛みを感じたのは、通っていた大学構内においてのみだ。

 

しかし、20年余り抱えていた孤独な気質で、多くの時間を無駄にしてきたという後悔はある。正直、語りつくせないほどだ。

 

人間は関係性の生き物であり、どんな楽しみも根本には他者とのコミュニケーションがある。それを無視しては生きられない。

 

僕はこれからの人生で、出来るだけ好きな人たちと関わって、楽しい時間を共有していきたい。人生の幸福とは、つまるところそこで決まると思うからだ。

 

そのために、長らく付き合ってきたコミュニケーション下手を克服していこうと考えている。内向的な性格は変わらないと思うが、少なくともコミュニケーションに対する苦手意識は減らし、できれば無くしたいのだ。

 

このブログは、孤独を抱えて生きてきた僕が、コミュ障を克服するまでのプロセスの記録にする。

 

 

 

 

 

「ただの作業」から得られる承認で満足してはいけない

他人から見ればとても創造的で高度なことをやっているように見えても、

本人からすれば、ただ慣れた行為をオートパイロットでこなしているだけということがある。

 

頭をフル回転させ、神経をすり減らし、失敗のリスクを負って何かを行うことを「挑戦」と呼ぶ。

 

頭を使わずとも慣れだけでこなせて、神経も使わず、失敗の可能性もほぼないような行為を「作業」と呼ぶ。

 

高校生のころの自分にとって、囲碁の地区大会で勝ち上がるという行為はそれに当たった。

当時はここまで明確に言語化して意識してはいなかったが。

 

挑戦は人に新しい世界をみせ、成長に繋がる一方、

作業の繰り返しはただの停滞だ。

 

しかし、ただの作業も、明確な結果を伴っていれば他者の承認を得られるものだ

囲碁の場合、地区大会で勝ち進んで全国大会へ進出したとなれば、確かに字面の勢いだけはいい。

 

しかし、私は碁に勝つことそれ自体に大きな意味を見出していたわけではない。

 

それゆえ、勝つために自身の技術を向上させる特別な努力をしていたわけではない。

ただ、それまでの人生で囲碁にかけてきた時間が人よりーーただ一地方の人々と比べればーー多かったのだ。

 

それだけで勝ててしまう。それだけで、ちょっと承認欲求を満たせてしまう。

他の大半の参加者とは違い、囲碁というゲームへの情熱は冷めていたというのに。

 

私はそんなイージーな心地よさに安住し、新しい世界を広げるため使うべき十代のエネルギーを、ただの作業に費やしてしまっていた。

 

笑ってしまう。

 

自分に自信がなかったことも、狭い世界に閉じこもるままだった要因だ。

それにしても頂けない。

 

 

ゲーム『シュタインズゲート0』プレイメモ その1

本記事にはゲーム版『シュタインズゲート0』のネタバレを大いに含みますので、ご注意ください。

 

おそらくTRUE ENDになるであろうアニメ版を観る前に、

まずゲーム版を自らの手でプレイしてそこに至るまでの苦悩や悲しみ、

 

カタルシスを味わいつくそうかと思って始めた『シュタインズゲート

 

やっぱりこの世界観で描かれる物語にはたまらなくはまりこんでしまう。

本作の第二の主人公とも言える新キャラ、比屋定真帆が好きだ。

 

ここまで12時間ほどのプレイで、悲しみのどん底から立ち直ることができなかった岡部が全てを諦めてしまうBAD ENDと、

 

タイムリープマシンによって運命に抗うことを決意し、

「俺たちの戦いはこれからだ!」的なぶつ切り(一応、最終的にはハッピーエンドに進みそうな)ENDの二つを攻略した。

 

この2ルートは、真帆と共に向かったダルのアジトでアマデウスからの警告をうけず、ラウンダーからの襲撃に遭うかどうかで分岐する。

 

1週目は、襲撃受けたらマズイのではと思って回避の方向に進んだが、そっちは見事にバッドエンドルートだった。(まだこの先に分岐があるかもしれないが)

 

やはり「狭き門をくぐれ」というイエス様の教えは真理か。

 

まゆり・鈴羽を喪い、戦争が始まってなお立ち上がることができないオカリンの姿は観るに耐えない痛ましさだった。

 

しかし、友人の比屋定に(操られていたとはいえ)殺されかけ。尊敬していたレスキネンの残酷すぎる裏切りを受けた直後とあっては仕方ないかもしれない。

 

2周目は襲撃を受け、かつ、比屋定に真実を伝えるのが早かったことが幸いしたのだろうか。これにより、彼女との絆を深めたのが大きい。

 

そしていまは別ルートを攻略している。

前述の2ルートよりさらに前、序盤の方に分岐点があった。

 

そもそも、オカリンがアマデウス紅莉栖へ依存に近い関係を築いてしまったことで、あ紅莉栖の記憶データから情報を引き出され、悪夢の世界線移動に繋がった(はず)。

 

始めにその依存を断ち切り、レスキネンに情報を与えなかったら‥‥‥?というのがこの分岐。果たしてTRUE ENDに繋がってるのだろうか。

 

前2ルートではどちらもレスキネンに拾われて殺人マシーンとなり、悲劇的な境遇に終わった椎名かがりが、記憶喪失となって現れているのもポイント。

 

まあこっちの方が確実に真エンドに近づいているのは確かだ。

 

レスキネンも、かがりと会わなければ未来の自分を知ることもなく、あそこまでの闇落ちはせずに済むかもしれない。

 

ただ、アマデウスへの依存に始める因果の鎖がいかにここまでの変動を起こしたのか、そこはもうちょい考察したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

囲碁の上達で一番重要だったかもしれないこと

こんにちは、カイトです。

 

読まれないのをいいことに、一筆書きで好き勝手書くのはやはり楽しいなと感じる今日この頃。

 

小学三年生の頃に始めてから、かれこれ10年以上続けている囲碁

院生やったり学生全国大会で優勝したりと、それなりに楽しく続けておりました。

 

始めた頃の上達スピードってどんなもんだったろう。

 

ヒカルの碁ブーム真っ只中で、同世代の仲間がたくさんいた囲碁教室に毎週末通って10ヶ月。

それほど一生懸命に練習していたわけでもないけど、それくらいの期間で初段になれた。

 

現代はネット碁もあるしプロ級の対局ソフトもあるしで、子供でこのスピードは遅いくらい。

まあでも、週1〜2日、1日3〜7時間(遊びと休憩をいっぱい挟みながら)の練習量でこの上達速度というのは、

頭の固くなってきた(とは思いたくないが)いまの自分からすると、

なかなか凄いスピードにみえる。

自分のことだけど、他人事のよう。

 

いまたとえば将棋を始めたとして、同じように上達できるかと言われれば、あまり自信はない。

 

子供の頃と、大人になった今の自分。

何が違うのか?

 

大人と子供の吸収力の差はまあ置いといて。

子供はマインドフルネス(過去も未来もない、"今ここ"への集中状態)がデフォだし、余計な雑念もないから脳はスポンジ。

 

その差は仕方ないとしてだ。

 

最近よく思うのは、失敗受容力の差がデカイのではないかと。

 

ようは、怖いもの知らず力

負けや失敗でいちいち傷つくプライドが無い力

わからないところをポンポン先輩や上手に質問できる力

勝てないのが悔しくて、何度ボロ負けしようと上手に食いついていく力

 

ここの差なのではないかなと。

 

今のぼくは、とにかく失敗やミスを怖がりがち。

わからないものがあるのが恥ずかしくて、人に質問できなかったり。

失敗するとすぐ人に顔向けできない気分になって、遠ざかったり。

 

こういうせせこましい精神全て、成長のためには邪魔なのです。

囲碁に限らず、なんでもそう。

 

おっと15分経ちました。今日はこの辺で。

カイトは藤沢秀行名誉棋聖の奔放な碁と生き方が好きです。

 

いつかまた「人と楽しく盤を囲むこと」が、死ぬまでにやりたい101のリストに入っとります。

 

それじゃまた。

 

 

 

 

新しい習慣を作りたいなら「66日」の継続に全力をーーインドア男、ジョギング始める。

こんにちは、カイトです。

 

アニメやマンガなどのインドア活動を趣味として20年余り生きてきて、しみじみと実感することがひとつ。それは、

 

「インドア趣味を楽しむのにも、運動は必要」ということ。

 

オタク=不健康というとちょっと偏見が過ぎる式だが、

しかしアニメや小説などのインドア趣味を楽しみに生きていると、運動不足で体力無しな自分のことをどこか正当化してもいい気になってくる。

 

しかし、そんなのは全くの間違いで。


インドア趣味を100%楽しむのにも、やはり運動と体力は必要なのです。

 

運動すれば血行がよくなり、頭の回転は上がり、作品鑑賞する際の脳の精度が上がる。

体力がなければ、あまり長時間集中力が持たない。

 

インドア趣味を120%楽しむためにも、これからはもっと外に出て健康になろう!と思い立ったのが1年前の春あたり。

 

そこで本格的に始めたのが、最も手軽な運動であるジョギング

 

何事もやり始めが一番大変なもので、僕のように意志のよわい人間は、油断するとすぐに当初のやる気がなくなって挫折しがち。

 

そんなときに出会ったのが、メンタリストDaiGo氏が解説する「習慣化の科学」

 

これによると、人間の脳がある行為を習慣として定着させるのに必要な日数は、およそ66日であるとのこと。

 

継続日数が66日に到達したあたりで脳が習慣として完全に記憶し、以降は「やらないと気持ち悪い」くらいの状態になってしまうそう。

 

ジョギングという新しい習慣を身につけようと思ったぼくが最初にやったのは、

まず日々のノルマを66日確実に継続できるレベルに抑えること。

 

毎日4km?ノンノン、足痛くなるよ。

じゃあ2km?いやいや、運動習慣無しの自分にはそれでも大変だよ。

 

それならと決めたのは、「一日最低5分、走っても歩いてもOK」という、一見妥協しまくったようなノルマ。

 

しかし、これが正解だった。

どんなに気乗りしない日だって、IPODで1〜2曲聴く時間くらいなら走れるし、疲れたら歩いたっていい。

 

その気楽さが、まず走り始めることへの心の抵抗をなくしたのです。

 

人間の脳はおもしろいもので、始める前はどんなに億劫でも、

いざ始めてしまえばどんどん気分が乗ってきて、やる気になってしまうということがままある。

 

やる気はやり始めた人に宿る」というのは金言だと思う。

 

そして、毎日5分のジョギング(時にウォーキング)を続けていると、日常的に走るという行為に慣れてくる。

そして、だんだんこう思えてくるのだ。

 

なんか、5分じゃ物足りねえぞ?」と。

 

そうなってくればしめたもの。

 

あとはその日その日の気のおもむくまま、走る距離でもペースでも、好きに伸ばしていけばいいのだ。

疲れてきたら歩いたっていい、足が痛い日は休んだっていい。

 

そして、いつしか継続66日のライン(だいたい)を超えたあたりで、ジョギングという習慣が完全に日常に定着していることに気づきました。

 

ジョギングを始めて1年が過ぎた今は、走るという行為にもはや抵抗はない。

 

運動を始めたことで以前より確実に健康になり、インドア趣味に向かうときの集中力も上がった。運動習慣は人生を豊かにする。

 

新しい習慣の継続は、簡単じゃない。

だから、66日確実に続けられるレベルのノルマに抑えよう。

 

これは、ジョギング習慣を獲得する中でぼくが得た教訓です。

もちろん66日というのはあくまで目安で、やることの難度によって増減します。

ただ、目印もないまま走り続けるよりは、こうした明確な数値目標があったほうがモチベーションは維持できますよね?

まずは続けることに全力を尽くそう。
そして、身体にその習慣を覚えこませよう。

 

始めの一歩の歩幅の狭さを嘆く必要はない。それを周囲の人間が笑ったって、無視していい。

先人のどんな偉大な足跡も、始めは小さな一歩から始まったのだから。

 

‥‥‥はい、なにやらいいこと言い始めたので、今日はこの辺で。

 

読んでくださり、ありがとうございました。

 

あ、メンタリストDaiGo氏のニコニコチャンネル、月々たったの540円で有益情報に溢れた価格破壊チャンネルなので、ぜひぜひオススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

やる気の出ない日は、まず動こうよという話

こんにちは、カイトです。

 

ここ数日、なんだか活力がない。

予定のない今日は睡眠不足でもないのに言いようのない眠気に襲われ、14時から昼寝を始めたら18時半まで寝過ごしてしまったりと、順調に社会生活不適合者風の日々にシフトしていると言えなくもない。

 

こんなことしてる場合じゃないのに。

 

漠然とした倦怠感や眠気で生活がユルんできたときは、怠けや気の緩みなどの精神論の前に、身体的な部分のケアを見直すようにしている。

 

まず栄養。それなりにしっかり食べてるし、不足はしてないはず。

普通に買おうとするとお高めな野菜の不足分は「1日分の野菜」で補っている。

白米には雑穀を混ぜて炊き、卵と納豆は毎日摂っている。

 

次に睡眠。毎日7〜8時間は眠っている。ミドルスリーパーなのでこれで不足はない。

ただ、ここ最近は「寝る前スマホ・PC」が多かった気がする。

ブルーライトは脳を覚醒させ、睡眠を浅くする。

 

睡眠の質の低下は、もちろん日中の活力に直結する。

ここはまぎれもない改善ポイント。

 

次に運動。

ジョギングは日課として続けているし、筋トレも行なっている。懸垂は楽しい。

 

栄養・睡眠・運動という基本的な3要素にそれほど大きな問題は見当たらなかった。

 

ここでようやく、精神論に入っていく。

原始的欲求があらかた満たされている現代人が次に求めるのは、社会的欲求だ。

ここに関わるものが、何か不足しているのだ。

 

今の自分に足りないもの。

人生の目的意識。人とのコミュニケーション。主にこの2つか。

 

やる気は行動の先に立たない。

動機が何であれ、行動するうちに、やる気は生成されていくものだ。

 

今の私に不足している社会的欲求を満たすには、心のうちに堂々と鎮座している「臆病」を乗り越え、行動するほか道はない。

 

バカになれよ。

 

とりとめのない文章。

今日はこの辺で。